愛は自由を許す
愛は相手がやりたいと思うことは何でも許す
やりたいと思うことは何でも一
それがその人を至福で満たすなら、
その人の自由だ
あなたが相手を愛しているなら
相手のプライバシーには介入しない
相手のプライバシーを損なわないようにする
相手の内的な存在に侵入しようとはしない
愛の基本条件は
「私は、あるがままの相手を受け容れる 」ということだ
そして愛は
けっして自分の考えに基づいて相手を変えようとはしない
相手をあちこち切り刻んで
自分の好みのサイズにしたりはしないー
ところが、それは世界中のいたるところで行なわれている
あなたが愛しているなら 何の条件も付けるべきではない
愛していないなら
条件を付けるあなたとはいったい誰だろう?
どちらにしても明白だ
愛しているなら
条件を付けることなど問題外だ
あなたは相手のあるがままを愛する
愛していないなら
それでも問題はない
相手はあなたにとって誰でもない
条件を付けることなどあり得ない
相手は何でも望むことをしてかまわない
嫉妬が消滅し、しかも愛が残るなら
あなたは人生において
持つに値する確固たるものを手に入れたことになる
愛するとはどういうことか?
ということがここで語られています。
しかし、私たちは、愛の名のもとに、愛することとは真逆のことをしてしまっているようです。
愛の名のもとに、相手を束縛し、相手は自分の所有物のように思ってしまいます。
お互いを所有し合うという契約が結婚であるようです。
相手のプライバシーにも介入し、相手が何を思っているかということについても監視しようとします。
そして相手を自分の好みに変えようとします。
私たちは、愛という名のもとに、愛を殺しているようです。
愛を自分の人生において持つに値する確固たるものにするには、まずこのことを自分の胸に問う必要があるでしょう。