「わたしは、あなたがたに
感情の方向転換をしてほしい。
この平凡な生を創造的な方向へと向けでほしい。」
とOshoは語っていますが、「感情の方向転換」って、面白い考え方です。
この発想ができるようになれば、日常の生き方がずいぶん楽になります。
というのは、大抵は、感情があると、それをなんとかしようとします。
怒りがあったり、悲しみがあったり、嫉妬があったり、恨みがあったり、許せない感情があったり。
それを人に見せないように隠したり、我慢したり、抑圧したり、感じないようにしたりします。
つまり、それらの感情をなんとかせき止めようとするわけです。
それらの感情のエネルギーって大きいので、それをせき止めようとするのは、川の水が流れているのをせき止めようとするようなものなので、そのために結構なエネルギーが必要だったりします。
でも、その感情の方向転換だと、その感情の流れに抵抗するわけではなく、流れの方向を変えるだけなので、それはちょうど電車の線路のポイントを切り替えるだけで済むので、それほどのエネルギーを必要としません。
エネルギーを創造的に使って、自分の喜びのためにエネルギーを使っていると、それほどネガティブな方向にエネルギーって向かないものです。
感情っていうと、心理的に大変な気がするんですが、単にエネルギーだって思うと、 怒りであろうと悲しみであろうと、そのエネルギーに対してニュートラルに対処できるので、シンプルになります。
ちなみに、珍しい写真を見つけました。
これはオールドプーナと呼んでいる時期で、1970年代のOshoの瞑想アシュラムでの活動の写真です。
この写真で、書道を教えている髭を生やしたおじさんは、おそらくゴビンドです。
マサチューセッツ工科大学で教授をしていた人で、30年以上前に京都に住み着いて大学で客員教授か何かをしていました。
彼には一時期お世話になったので懐かしい感じがしました。
「わたしは、あなたがたに
感情の方向転換をしてほしい。
この平凡な生を創造的な方向へと
向けでほしい。
心配することはない。
家の周りに庭をつくり、草木を愛で、
それに喜びを得ればいいだけだ。
たいしたことをする必要はない――
石を磨き、彫像をつくってごらん―
知性ある人はみな、
生業に加えて何か
創造的なことをするべきだ。
創造性に時間をさかない人は、
悩みに暮れて自らの生を滅ぼすだろう。
ちょっとした詩を書いてもいい――
たいしたことをする必要はない。
病院へ行って、
病に臥した人に花をあげてごらん。
通りで物乞いを見つけたら、
抱きしめてごらん。
ただ自分の喜びのために
創造的なことをしなさい。
何かを与える必要はないし、
何かを得る必要もない――
行為そのものが喜びだ。
生にいて、
単に喜びのための
行為を選びなさい。
あなたの全エネルギーを
それに向けなさい。
すると、
破壊的なエネルギーは残らないだろう。
創造的になればなるほど、
ますます怒りは消えていく。
怒りは非創造的な人間であるしるしだ。
あなたは内側に
大きなエネルギーを抱えている。ーー
それはどこに行くのだろう?
それはセックスを通して、
性欲を通して出てくる。
それは何らかの形で表に
出さなければならない。
多くの創造的な人々、
優れた彫刻家や画家や詩人が独身でいた理由は、
彼らのエネルギーが
創造的な過程で使われていたからだ。
彼らのエネルギーは変容され、
昇華されていた。
昇華されていなかったら、
もっとも非創造的な、
子供をつくることに使われただろう。
そうなると、偉大なもの、優れた詩、
優れた絵画を創造するのに使える
エネルギーは生殖に使われる。
だからエネルギーの昇華、
エネルギーの解放は非常に重要なのだ。
そのことを覚えておきなさい。
身体を完全に浄化するには、
生を創造的に生きることだ。
創造的な人だけが宗教的になれる――そ
れ以外の人は宗教的になれない。」
あなたにとって創造的な行為はなんですか?
Have a nice Day!
えたに