Oshoは芸術のあり方には、主観芸術と客観芸術があるというふうに語っています。
主観芸術とは、自分の中の感情や狂気を表現しているものです。
それは言ってみれば、その表現は芸術家本人にとってはカタルシスのようなものなので、表現することで本人はスッキリするかもしれませんが、それを見たり聞いたりする人は、その影響を受け取ってしまいます。
そのような音楽や絵画を鑑賞しても、あまり良い気持ちはしません。
もう一つは客観芸術といわれるものです。
それは瞑想から生まれた芸術です。
客観芸術は、その音楽を聞いたり、絵画を見る者に、その瞑想の境地を感じさせ、精神性を高めてくれるものです。
仏像や仏画、悟りを得た禅師が描いた墨絵。Oshoはタージマハールのような建築物も、そのような客観芸術だと語っています。
自分が聞いている音楽や絵画などが、それがどのような境地から作られ、描かれたものなのかに気づくようにすれば、それを鑑賞することでどのような影響を受けているのかということにも気づくことができるでしょう。
現代音楽は優雅さから転落した
なぜなら、音楽の基本的な目的を忘れてしまったからだ
現代音楽は、その原点を忘れてしまった
瞑想と何らかの関わりがあることを知らない
他の芸術にも同じことが言える
すべてが瞑想的ではなくなり
人々を狂気に導いている
芸術家たちは自分自身に対してもーー
さらには、彼らの観衆になる人々をも危険に陥れている
その芸術家が画家であれば
その絵は狂気だ
瞑想的な質からは生まれていない
現代の世界はある意味狂気に満ちた世界だとも言えるでしょう。
現代に限ったことではないのかもしれませんが、テロや各地の紛争が世界にはびこり、ニュースとして流されています。
それらが子供のゲームにも反映され、子供はそのようなゲームや世相に影響されて育っていきます。
ある意味、そのような狂気や怒りや悲しみの感情なども、カタルシスとして放出しなければ正気を保つことも難しい世の中なのかもしれません。
それだけに瞑想が必要とされている世の中だとも言えます。
そのような世の中での私たちの生き方を考えるとき、芸術の基本的な目的を考えてみることは大切だと思われます。
その芸術は狂気を表現しているものなのか、それとも瞑想と関わりがあるものなのか。