Oshoの言葉から。
「行為は助けにならない
行為は再び同じ轍になる
行為ではなく
存在のみがあなたを変える
だから何度も何度も失敗すると、
そのときはじめて
行為が私をどこかへ
導くことはけっしてない」
という洞察が生まれる
剣があなたを斬る日がくる」
Osho
これから話すことは、ちょっと難しいかもしれません。
おそらく、何のことやらわからない、と思われる方が多いと思います。でも、それは普通です。
私自身、このことをわかるのに、3、4年かかりました。もっとかかったかもしれません。
でも、今わかったと思っていても、それが正解かどうかもわかりません。
また別の理解が訪れるかもしれないので、これから書くのは、現段階での私の理解です。
Oshoの言葉というのは、自分の体験に応じてのことまでしかわかりません。
自分の体験が深まるにつれて、そういうことだったのか!
という新しい理解に導かれます。
そして、Oshoが話していることは、その本質においていつも正しい。それだけは確かです。
なんて、これは悟ってない人が、悟りを得た人に向かって言うことではないですね(笑)
あ、悟ってないって、言っちゃダメなのかというのは、内心のつぶやき。。。。
それはともかく、
Oshoの言葉にピンときた人、というのは、内なる真実の琴線に触れた人です。
それは、内なる真実の声が目覚めることでもある、と私は思っています。
自分ではなかなか気づけない声に、Oshoが鏡となって気づかせてくれるのです。
私にとって、Oshoの言葉とは、そういうものです。
前置きが長くなりました。
今日話したいのは、「時間は水平に進むが、瞑想は垂直に進む」というOshoの言葉についてです。
「これ、一体何のこと?」って、ずっと思っていました。
でも、この次元のことがわかり始めてきた時に、
「あぁ、こういうことか!」っていうことがわかりました(わかった気がした?)
時間というのは、マインドのことです。
つまり、マインドの次元にいるかぎり、ものごとは水平に進むだけなのです。
つまり、地球の表面をぐるぐる回っている感じで、ものごとが、表面的なのです。深みへと進んでいかないのです。
時間は、過去と未来に進みます。水平線をまっしぐら。
マインドの次元にいる限り、過去と未来を行き来するだけで、ずっと2次元を移動するだけです。
しかし、瞑想は垂直に進みます。つまり、深みへと進みます。
そこには時間がありません。
過去という時間も、未来という時間もありません。この一瞬があるだけです。
仏教では刹那とも言います。物理ではプランク定数とでもいうんでしょうか。
でも本当は一瞬さえもない。時間がないのですから。
便宜上、一瞬と言っておく、言葉の問題ですけど。
その瞑想においては、存在の次元に進むわけです。
4次元の世界です。
その4次元の世界においては、1次元も2次元も3次元も含んでいるのです。
瞑想の次元は「空」ともいいます。その空はもっとも抽象度が高いとも言われています。
抽象度が高いというのは、概念的に、それよりも抽象度が低いものを含みます。
例えば、ポチという名前の飼い犬がいたとします。ポチは、その目の前の一匹の飼い犬です。
抽象度を上げると、犬、になります。さらに抽象度を上げると、動物、になります。さらに抽象度を上げると、生物、になります。
かなり大まかですけど、これが具体的なものから抽象度を上げて考えていくやり方です。
次元も同じです。
数学では、点が1次元とすると、平面が2次元で、高さを加えた立方体が3次元です。
3次元には1次元も2次元も含まれています。
何が言いたいかというと、瞑想の次元(4次元)には1次元も2次元も3次元も含まれているのです。
つまり垂直的な深みがあるのです。
Oshoは言います。
「行為は助けにならない、行為は再び同じ轍になる」
行為は2次元の世界ですが(1次元も含んでます)、その2次元の世界をぐるぐるまわるだけなので、再び同じことを繰り返すだけなのです。
つまり、同じ轍(わだち)を歩むだけです。
しかし、瞑想においては、過去も未来もないので繰り返しはありません。
その一瞬一瞬が常に新しい瞬間であり、すべての次元をそこの含んでいます。
「行為ではなく、存在のみがあなたを変える」
というのは、存在の次元を知った時、あなたの世界を見る目すべてが変わることを言っています。
そのうえで、1次元、2次元の世界を生きていくことができるようになるということだと思うのです。
わからなかったと思いますが、一つの仮説ぐらいに思っておいてください。
今日はこれまでにします。
えたに