「存在について」シリーズ(2)

Oshoの言葉

「存在について」シリーズ(2)

頭は、少しだけならハートについて
理解することはできる。

なぜなら、
どんなに偉大な科学者でも
恋に落ちるからだ。

彼の頭は、何が起こっているかを
考えることはできないーー

恋に落ちる??
彼は合理的に
証明することはできない

なぜ特定の男性や
特定の女性とそうなるのか

その背景にはどんな
化学的要因があるのか

どんな物理的要因があるのか

どこからともなく、
降って湧いたように思える。

しかし、それを
否定することもできない。

それはそこに存在し、
彼の人生全体を支配している。

だから、私は宗教は
ハートのものだと言っている。

それは一時的なものにすぎない。

考えることから感じることへと
あなたを説得することができれば、

そうなれば、
私は宗教は存在のものだと
言うことができる。

宗教は、考えることでも
感じることでもない、

論理でも感情でもない。

それは純粋な沈黙だ
ある意味では、
まったくの空(くう)だ

なぜならフィーリングもなければ、
思考もない。

別の意味では、
至福と祝福に満ちあふれている。

          Osho

ここで語られているOshoの言葉を聴くとき言葉を理解しようとすれば、見失います。

言葉を理解しようとしても、理解できません。

なぜなら、彼は言葉を超えた世界について、存在のレベルから話しかけているからです。

そのときに、私たちができることは、ただOshoに波長を合わせることだけです。

それは彼とともにいて、瞑想することです。

このようなことを話すときには、Oshoは存在のレベルから話しているので、

そのOshoの存在のレベルに波長を合わすことができれば、瞑想することが容易になります。

そういう意味で、Oshoの言葉を読むことそのものが
存在のレベルに波長を合わせることになります。

Oshoの言葉を読むことそのものが瞑想となるのは
Osho自身がその瞑想のスペースから語っているからです。

Oshoの言葉を聴くときに(読むときに)その言葉の意味を頭で理解しても、
それだけのことに終わってしまいます。

その言葉を超えた次元に波長を合わせると、
さらに豊かなものがそこに流れていることに気づくでしょう。

そこが、魂の次元を理解できるかできないかの分水嶺になるでしょう。

今日はここまでにします。

えたに