その真理とは何か?
真理についての、
Oshoは次のように語っています。
「真理を達成する種々の方法はある。
だが真理の定義というのは存在しない。
この3日間私はこれらの方法について
議論してきたが、
あなたは私たちが真理そのものは完全に
無視してきたと感じるかもしれない。
私は真理について話してきたが、
真理が実際に何であるとは
けっして言わなかった。
いや、それは言えないのだ。
それは体験することしかできない。
真理を説明することはできない。
だがそれを体験することはできる。
そしてそれはあなたの体験になる。
方法を与えることはできる。
だがその真理の体験は
あなた自身のものになる。
真理の体験は常に個人的なものだ。
それを他の人に言葉で
伝えることはできない。
こういう理由で、真理が何かを
あなたに言うことはない。
それは私があなたに何かを言うのを
差し控えたいからからではなく、
それを言葉にはできないからだ。
昔、ウパニシャッドの時代には、
誰かが賢者のところに行って
『真理とは何でしょうか?』と
尋ねることが起こると、
いつでも賢者はその人を
じっと見つめたものだ。
再びその人は『真理とは何でしょうか?』と
尋ねただろう。
そして彼は3回『真理とは何でしょうか?』と
尋ねることになる。
すると賢者は、
『私は何度も何度もあなたに告げている。
だがあなたは理解しない』と言うことになる。
その人は言うだろう。
『何をおっしゃるのです?
私はあなたに3回尋ねました。
そして3回ともあなたは黙っていました。
それをあなたは私に何度も何度も
告げたとおっしゃるのですか?』
すると賢者は言ったものだ。
『私はあなたに私の沈黙を
理解する能力があったらと思う。
なぜなら、そうすれば真理が何かを
あなたが理解しているからだ。』
沈黙こそがそれを言う唯一の方法だ。
真理を知った人々は沈黙することになった。
真理について語られるとき、
彼らは沈黙する。」
Osho
これは、Oshoが初期の頃にインドで開催していた
瞑想キャンプで語られた言葉です。
> この3日間私はこれらの方法について議論してきたが、
「この3日間」とOshoが言っているのは、
3日間の瞑想キャンプの間に話していた講話のことです。
> 方法を与えることはできる。
> だがその真理の体験はあなた自身のものになる。
ここでいう「方法」というのは、
Oshoが教えている瞑想法などのことです。
でも、その真理については話すことはできないし、
そもそもそれを与えることもできない。
なぜなら、それは各自が体験することでしか得られないものだからと言うわけです。
ですから、こればかりは、Oshoの言葉をどんなに読んでも
得られないものです。
「Oshoの言葉」のブログでは、
昔、私がブログで紹介していた
Oshoの動画などもご紹介していましたが、
その動画の最初に必ず流れるテロップには、
「言葉でわかち合われる静寂」
と書かれています。
その静寂、沈黙
これそがOshoのトランスミッションであり、真理です。
その真理は、語り得ないものであり、
それは私たちが体験することの中でしか得られない、
ということなのです。
この瞑想キャンプでOshoが語っている真理とは、
悟りのことでもあります。
以前にも紹介しましたが、その光明の味わいについて
Oshoが語ってくれている講話があります。
何度聴いても美しい言葉です。
今、その講話の動画を確かめようと思って見てしまったら、
これ以上書く言葉がなくなってしまいました。。。
今日は、そのOshoが共有してくれている
光明の味わいとともに、一日を過ごしたいと思います。
その光明の味わいについて語られている講話はこちらです。
https://oejbooks.com/2015/01/20/taste-of-hope/
今日はここまでにします。
えたに