Oshoの言葉
いったい何が愛を破壊したのか?
愛と憎しみは
同じコインの 両面だ
しかし愛については
とても過激なことが起きてきた
想像もできないことだが
この過激なステップは
世界の善良なる意図をもつ
人々によって もたらされてきた
あなたは いったい何が愛を
破壊してきたかについて
疑いもしなかっただろう
愛が破壊されたのは
ひっきりなしに
愛について教えてきたからだ
憎しみはいまだに純粋だが
愛は違う
あなたが憎むとき
あなたの憎しみは本物だ
あなたが愛するとき
それは偽善にすぎない
これは理解されなくてはならないことだ
Osho
このOshoの言葉は、
以下の質問によってなされたものです。
<質問>
「あなたは愛と憎しみはひとつだと
おっしゃいます。
でも私は世界で
愛よりも憎しみをより多く目にします。
同時にあなたは光明を得ることは 、
愛でも憎しみでもないとおっしゃいます。
あなたは 愛のふたつの異なる質について
話されているのですか?
これがどうしたら、
あなたのメッセージある愛と
結びつくのでしょうか?」
今世界では、
さまざまな過激なことが起こっています。
それはまさに、
想像できないようなことが
現在進行形で起きています。
しかし、その想像できないような過激なことが、
愛についても起こっていたとは?
まさに驚きです。
その過激なことによって、
愛が破壊されていたなんて、
思いもよらないことでした。
その過激なこととは何か?
> 愛が破壊されたのは
> ひっきりなしに
> 愛について教えてきたからだ
「ギョエ〜」って、
漫画などでは表現されますが、
まさにギョエ〜と思ってしまう
Oshoの言葉です。
どうして愛を教えることが
愛を破壊してしまうことになるのか?
「教える」ということは
マインドからのものです。
私たちが愛を知る前に、
教え込まれてしまうのです。
その教え込まれた愛によって、
私たちは閉じ込められてしまうのです。
本当の愛を知る前に。
では、その本当の愛は
どうすればしることができるのか?
それは、瞑想することだ。
自分が愛だと知ることだ。
とOshoは語るわけなのですが、
なかなかそれが難しかったりします。
その自分の中にある
本当の愛につながるための方法が、
マインドからハートに降りることであったり、
ハート瞑想だったりするわけです。
CCT(コンパッション育成トレーニング」では、
そのハートを知らない人にとっても、
内なる愛につながる方法を使っています。
それとともにやらなければならないことがあります。
それは、これまで教え込まれた愛は
本物ではないということを知ること。
私たちが愛だと教え込まれてきたものは
偽善だと理解することだと、
Oshoは語ります。
> あなたが愛するとき
> それは偽善にすぎない
> これは理解されなくてはならないことだ
ではなぜ、この社会や宗教は
私たちの愛を破壊しようとしてきたのか?
それについては、
Oshoから直接聞いてください。
過去のブログの中で紹介しています。
https://oejbooks.com/2016/09/28/what-on-earth-destroyed-love/
今日はここまでにします。
えたに