<Oshoの言葉>
あなたはあなたであるだけのために
ここにいるのであって
ほかの誰になるためでもない
ほかの誰にも自分を操らせないこと
そして、ほかの誰も
操ろうとしないこと
あなたは、ほかの誰かの
期待に沿うために
ここにいるのでもないし
ほかの誰も、あなたの期待に
沿うためにここにいるのでもない
Osho
この言葉は、言うのは簡単ですが、実際にそのようにするのはとても大変です。
しかしOshoが語る、彼自身の子供時代の逸話を聞いているとまさにそのように生きてきていることがわかります。
まさに、反逆児です。
あるがままの自分でいることはガッツが必要です。
あなたはあなたであるだけのためにここにいるのであって
> ほかの誰になるためでもない
何か利己的であるように思うかもしれませんが、しかしよく考えると、自分以外のものにはなれないことがわかります。
それなのに、私たちは、誰か他のものになることを教えられます。バラはユリのように、たんぽぽはチューリップのように。
そして私たちは、自分とは別の誰か別の人に、「あの人のようになりたい」と思って頑張ったりします。
バラはバラであり、バラである。
という言葉がありますが、バラはバラ以外ではありようがなく、タンポポはタンポポとして花咲くことが美しいのです。
>ほかの誰にも自分を操らせないこと
> そして、ほかの誰も操ろうとしないこと
私たちは、つい他の人をコントロールしようとしてしまいます。そして、自分も他の人に操られてしまいます。
>あなたは、ほかの誰かの期待に沿うためにここにいるのでもないし
> ほかの誰も、あなたの期待に沿うためにここにいるのでもない
私たちは、常に誰かの期待に応えたいと思ってしまいます。両親の期待や、周りの人々の期待のために生きてしまいがちです。
そして、他の人に変わってもらいたいと期待してしまいます。でも、人は変わりません。
そもそも、人を変えようとすることそのことから間違えているのです。
今日はこれぐらいにします。
えたに